Twitterで毎日お得情報発信中!是非フォローお願いします
[PR]記事内に広告が含まれています

たけしの日本教育白書2008で取り上げる「トロッコ問題」とは

雑記
この記事は約3分で読めます。

※この記事はK3が自身のWebSite、Exite Blog、mixi日記に記載したものの中で特に評判が高かったものを転機しています。抜き出しのため意味が分かりにくいものもありますがご了承ください。

イギリスの道徳哲学者、Philippa Footが考案した倫理感を問う
「Trolley Problem(=日本語訳トロッコ問題)」

自分がトロッコのスイッチを操作して進路を切り替えないと、その先にいる作業者5人が死ぬ。
しかし、切り替えた先にも作業者が1人がいて切り替えれば犠牲になる。

あなたはどうするかという問いだ。

これは、パラドックスを生み、人の道徳観は一貫性に欠ける事が分かる問いなのである。

調べてみると、この質問を投げられた被験者の大半は切り替える事を選んだそうだ。
5人助かるなら1人の犠牲は仕方がない。
私も質問されればそう答えるだろう。
しかし、実際その場で、切り替える事によって犠牲になる一人は、自分が殺す事になるのだ。
はたして時間の無い中、切り替える決断が出来るだろうか?
切り替えなければ5人が犠牲になるが、もしその場に自分がいなくても同じ結果になったわけで自分が手を下したわけでは無い。
ただし、何もしなかったという消極的行動で倫理観に悩まされるであろう。
※おそらく日本およびほぼすべての世界の法律では”緊急避難”が適応され、いかようの行動を起こそうとも罪に問われる事はない。

さて、大半の人が答えた切り替えるという選択、
“多数を救うための少数の犠牲は仕方が無い”という発想である。
被験者達にさらに質問を投げかけた。
「では、あなたは橋の上で真下を通るそのトロッコを見ていて5人が危機が迫っている事を知る。
あなたの隣には見知らぬ太った男性がいる。彼を突き落としてトロッコを止めるか?(確実に止められる事とする)」 (Judith Thomson考案 = The fat man)
と問うと、ほとんど「突き落とさない」と言う。
先に”多数を救うための少数の犠牲は仕方が無い”と述べたが、その道徳が一貫性のあるものなら突き落とすはずである。
しかしこれは司法の観点から罪に問われるかもしれない。

先のトロッコの切り替えポイントだって、切り替え先にいる1人があなたの家族なら?や
トロッコの先にいる5人のうち4人は知らない人で、1人はあなたが大嫌いな人なら?
という事でも答えは変わってくるかもしれない。

哲学に明確な回答は無い。
今回のたけしの日本教育白書では、教育的観点から自分の子供に問う。
そして子供が答えた後何と言ってあげるべきなのだろうか。

参照

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html
フィリッパ・フット-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%88
The argument for inductive scepticism
http://wayfaringfrog.blogspot.com/2008/02/argument-for-inductive-scepticism.html

今回はコンパクトにまとめるために書かなかったがJudith Thomsonが提唱する”人工妊娠中絶の擁護”というのが興味深い。
あなたは朝起きると末期の腎臓病である有名なバイオリニストと手術により体が繋がれていた。
しかも昨晩バイオリニストの過激なファンによって誘拐されて、、、である。。
9ヶ月我慢すれば、バイオリニストは全快するので接続を外すから我慢してくれと言われる。あなたは我慢するか?という事だ。

ここでいうバイオリニストは胎児である。J Thomsonはアナロジーという技法を使って問うのが非常にうまい。
使い方を誤ると屁理屈にしか聞こえないが、人間の深層心理を突くのに有効な手法といえる。

コメント